今回は語源探索を中心に進めます。
「ラーフル」に関していろいろ語っているwebsiteは多いのですが、まともな論考となると、
・上村忠昌 (2000.8) 「ラーフル」考. 鹿児島工業高等専門学校研究報告, vol.35, pp.69-83.
http://karn.lib.kagoshima-u.ac.jp/handle/123456789/14548
→ 再録 : 上村忠昌 (2007.3) 第三章 「ラーフル」考. 坂田勝 『かごしま弁入門講座 基礎から応用まで』所収. pp.148-174. 南方新社, 鹿児島.
実はこれしかないのです。
しかしこの論文は、ラーフル研究史、分布、語源までひと通り網羅されており、ラーフル研究の出発点となる論考でしょう。
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さて、その語源だが、今のところはっきりわかっていません。
上記論文でも、オランダ語「rafel」をその最有力候補としてあげていますが、決着した、とは言いがたい。
オランダ語「rafel」は、「こすること、撤糸(ホツシ)ニシタル、ほつれ糸、リント布」という意味。
明治前期の学校用品にはオランダ語が当てられていたことから、これを黒板消しの名称としたのだろう、と上村氏は推察しています。
「推察」なのです。直接「黒板消し/拭き」を「rafel」と呼んだ例が見つかったわけではないのです。
明治14年からすでに「ラーフル」という名が現れているそうです。意外に古い。
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オランダ語「rafel」が語源である、という説は、上村氏がはじめて唱えた、というわけではありません。それ以前から黒板消しを製造・販売している文具メーカーがカタログなどでこの説を提唱していました(論拠は不明ですが)。上村説は、この裏付けをとった、という流れと解釈しています。
しかし、カタログにあるスペルでは「rafel」、「larful」などとヴァリエーションもあり、元のスペルもはっきりしていないことがわかります。
上記論文で報告されている1980年代の「ラーフル」商標登録とその取り下げに関するスッタモンダも、すごくおもしろいのだが、ここは先へ進もう。
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上村氏はオランダの学校を訪問した際に、「黒板消し/拭き」についても聞き取りをし、「rafel」説の裏付けを取ろうとしました。
ところが、オランダの学校では「黒板消し/拭き」のことを「rafel」とは呼んでいないのです。日本とほぼ同じ「黒板消し/拭き」を、主に「spons(海綿/スポンジ)」と呼んでおり、上村氏は「rafel」と呼んでいる例を発見できていません。
もちろん、19世紀にはオランダで「黒板消し/拭き」のことを「rafel」と呼んでおり、その時代にモノと名称が日本に伝わった、という可能性は考えられますが、その検証は全く手付かずで、仮説にとどまっています。
検証には、オランダ教育史・文具史について、おそらくオランダ語資料にあたって調べる必要があるでしょうから、かなり大変です。
しかし「ラーフル」=オランダ語「rafel」説を唱える人にとっては、必ずやらなくてはならない仕事でしょう。誰か調べてください。
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ここから先が、私が提唱する「ラーフル」語源の新説。
ラーフル分布地図をもう一度挙げておきます。
『新日本言語地図』, p.65の部分に加筆
「ラーフル類」分布域・鹿児島県では、ほとんど「ラーフル」と呼ばれているのですが、屋久島の「ダーフル」、種子島の「ダフラー」の特異性が気になりました。
日本語にはもともと「ら行」で始まる言葉がないため、「ラ」→「ダ」の変化が容易に生じます。上記の2語もその流れであろうと考えるのが妥当でしょう。
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しかし「ダーフル」というのはどっかで聞いた言葉です。これを見た時から、それがどうにもひっかかっていました。
で、ようやく思い出しました。英語の「duffle/duffel(ダッフル)」です。意味は「起毛した厚手のラシャ」。ラシャは「縮絨した毛織物」のこと。
日本では「ダッフル・コート(duffle coat)」の一部としてしか使われない名詞なので、それを思い浮かべていただくとよいでしょう。あのふかふかした生地のことですね。
「コーデュロイ(corduroy)/コールテン(corded velveteen)」は「duffle/duffel」の中でも、畝(うね)のある生地のことを呼ぶようです。「コーデュロイ・ダッフル・コート」などという使い方もされていますね。
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この「コーデュロイ」を見てさわった時に、「色は違うけど、これ黒板消しの生地みたいだな」とずっと思っていたのです。
事実、黒板消しのあの畝の入ったふかふかした生地はコーデュロイ/コールテンなのです↓
・アオイ(株式会社青井黒板製作所) > アオイのネット通販 > イレーザー/黒板消し > 黒板消し J (ラーフル) コール天 生地(6個入り)
http://www.aoikokuban.co.jp/products/detail.php?product_id=316
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で、私の仮説は、
「黒板消し/拭き」が日本に入ってきた時に、そのふかふかした生地を指して「duffle/duffel」と呼び、それがなまって「ラーフル」になったのではないか?
ということです。
明治14年の資料にはすでに「ラーフル」という表記が出現していますから、もし上記仮説の子音交替が起きたとすれば、導入最初期で、ということになります。
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この仮説に従う場合は、屋久島の「ダーフル」、種子島の「ダフラー」は、「ダ」→「ラ」→「ダ」という二度の子音交替を経てきたことになりますね。
言うまでもなく、この仮説の弱点は、「黒板消し/拭き」を「ダッフル/ダーフル」と呼んだ/でいる例が今のところ確認できないところです。
屋久島/種子島の「ダーフル/ダフラ-」は、この仮説での語源「duffle/duffel」が古くからそのまま伝承されたもの、とは考えていません。ですから、実例として使うことはできません。
この仮説を検証するためには、明治時代の教育関係の資料から「ダーフル」とよんでいる例、黒板消しの生地について言及している記事を丹念に探すしかなさそうですが、今のところ私はそこまでやる気はないです。
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しかし「rafel」説の方も、「黒板消し/拭き」のことをオランダで「rafel」と呼んだ/でいる例を発見できていないのですから、同レベルかもしれません。
ただしオランダ語「refel」説は、以前からメーカーなどが「rafel」と表記しているという事例もあり、すでに複数の支持者がいます。Web上でもこの説を「有力」と取り上げているサイトがほとんどです。
さて、私の「duffle/duffel」説は、その牙城をどれだけ崩すことができるのでしょうか?そもそも、ここは誰も来ないblogなので、この説が広まることは当分ないでしょうが・・・。
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上村論文によれば、「ラーフル」は明治時代には西日本一帯で用いられていた用語らしいのですが、それが徐々に廃れていき、現在は鹿児島県にだけ残っているのです。
なぜ鹿児島県でだけ生き残ったのか?また、なぜ県内で用語に一律に統一がとれているのか?そのあたりの経緯・理由もわかっていません。
一文具販売企業が鹿児島県内の教育機関への「黒板消し/拭き」納入を独占し、その企業が使っていた商品名が「ラーフル」であった、あたりではないか、と推察されますが、わかりません。それなら、あちこちの県でも同様に、もっと「ラーフル」の名が残っていそうではありますが、謎ですねえ。
このように、「ラーフル」というのは謎の宝庫なのです。
日本語方言研究者、文具研究者、明治教育史研究者、鹿児島郷土史研究者あたりが協力して当たらないと、なかなか解けないでしょう。難問です。
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「ラーフル」の話はこれくらいにして、『新日本言語地図』の「こくばんふき」方言調査では、「黒板消し」と「黒板拭き」の分布を把握することもその目的でした。
このエントリーでも、「黒板消し/拭き」と併称していたのはそういうわけです。
その結果は、「消し」系が全国的にやや優勢ではあるものの、顕著な東西対立や周圏分布などは見いだせませんでした。秋田県の「拭き」系独占が結構面白い。
私の実家あたりは「消し」と「拭き」が入り組んでいて、確かに私は「黒板消し」とよんでいましたが、「拭き」という人もいました。これはもしかすると、世代差も考慮する必要があるのかも知れません。
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こういう論文もあります。
・中田敏夫+加古環紀 (2011) 「黒板拭き」に関する用語の変遷. 日本方言研究会研究発表会発表原稿集93回, pp.39-48.
「ラーフル」問題にも関わっていそうで、すごく気になるのですが、残念ながらweb公開されていないので未読。そのうちどっかに探しに行ってみよう。
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それから、方言とは関係ないのだが、この論文もおもしろかった。
・小池清治 (2007) なぜ, 黒板消しで黒板を消せるのか? 格助詞ヲの多様性. (宇都宮大学)外国文学, vol.56, pp.77-83.
http://ci.nii.ac.jp/els/110006555601.pdf?id=ART0008536520&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1489242690&cp=
確かに「黒板消し」で黒板は消せない!(笑)
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