2018年3月24日土曜日

福岡県赤村古墳?

最初はGoogle Newsで見ました。で、元サイトに行ってみたわけです。

・西日本新聞 > ニュース >九州 >福岡 > 筑豊 > 「卑弥呼の墓では」巨大な前方後円墳?謎の丘陵 日本最大に迫る全長450メートル [福岡県](2018年03月20日 06時00分)
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_chikuhou/article/402402/

これが本当なら大発見だ。

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まず赤村の位置から


Google Mapより

福岡県の東部、田川郡に属しています。

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これがその「古墳様地形」の衛星写真。


Google Mapより

確かに、北側が円形、南側が台形の「前方後円墳」のように見えます。

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Google Earthで少し角度をつけてみましょう。


Google Earthより、南側から

西日本新聞も、他の「古墳説」を取る人の絵はだいたいこの方向、角度からのものばかりです。

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では、方向を変えたらどう見えるのか?東から見てみましょう。


Google Earthより、東側から

円形部よりも、方形部に向かってどんどん高くなっているようです。

前方後円墳で、方形部の方が高い古墳なんてあるのかな?自分はちょっと知らない。

しかも方形部は水平ではなく、円形部へ向かい傾斜している。これも古墳にしては不自然だ。

円形部の一部、民家が数軒建っているあたりは開削したのだろうか?だとすれば、ここには露頭が出ているはずだから、盛り土なのか?何か地層が出ているのか?わかるんではないだろうか?

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次に北東から見てみよう。


Google Earthより、北東側から

円形部はあまり盛り上がりが感じられない。本当の古墳ならもっとはっきりしていてほしいところ。

これは自分には「方形部からの斜面の末端」という感じに見える。

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この地形の西側が、なにか不自然に樹木がないことがとても気になる。谷間のように見えるが、それにしても低木すらないのは不自然だ。

もしかすると、この地形が古墳に見えるように、きれいに伐採したのではないか?などと考えてしまう。

見る人が古墳と感じるのは、この樹木の切れ目(の連なり)で輪郭が強調されている影響が非常に大きいだろう。

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Google Map StreetViewでも見てみよう。東側から。


Google Map StreetViewより、東側から

やはり方形部ヘ向かいどんどん高くなっていくのがわかる。

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見た目だけではなく、等高線のある地形図で見てみよう。


国土地理院地図より

・国土地理院/地理院地図(電子国土Web)(as of 2018/03/24)
http://maps.gsi.go.jp

地形図でも意外に「前方後円墳」のように見えるのでびっくり。

しかしやはり方形部の方が高い。円形部の頂部は八十数m。方形部の頂部は九十数mだ。もちろん円形部へ向かって傾斜している。

等高線には出ないが、くびれの部分に少し高まりがあるのも、古墳としては不自然。

西側の谷間は、これで見ると田んぼがあるようだ。なるほど、低木すらないのも納得。陸稲だろうか?ずいぶん狭いところに作ったもんだなー。

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地質も見ておこう。


シームレス地質図より

・国立研究開発法人 産業技術総合研究所 地質調査総合センター > 20万分の1日本シームレス地質図 > 20万分の1日本シームレス地質図を表示(as of 2018/03/24)
https://gbank.gsj.jp/seamless/seamless2015/2d/index.html?lang=en

この場所を含む一帯には、白亜紀の花崗岩が分布していることがわかる。

この場所は、花崗岩地形らしい起伏に欠けるが、だいぶ風化・削剥されているのだろう。

花崗岩は風化すると、「真砂(まさ)」というごく粗い砂~小石になる。表面には土壌がかぶっているとは思うが、少し掘ればその真砂が出てくるはずだ。

私には、この「古墳様地形」は、南側にあった花崗岩の山が徐々に風化して崩れ、真砂が北へ地すべりのように流れ落ち、末端の円形部に溜まっているように見える。

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というわけで、私の見るところでは、これは人工物ではなく自然の地形と判断しました。

マスコミの人は「古墳か?遺跡か?」と煽ったほうが商売になるので、不都合なデータはわざと出さない傾向にあります。与那国海底遺跡と同じ図式ですね。

「新聞は公器。正しい情報を書いてくれる」が迷信なのは、これでもわかりますね。こう言った案件では、マスコミの言うことは鵜呑みにせず、ある程度自力で調べる必要があるのです。

さて、本当のところはどうなんでしょうね?続報を期待しましょう。

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(追記)@2018/03/24

・国土地理院 > 地図・空中写真・地理調査 > 地図・空中写真閲覧サービス > CKU747(1975/03/15(昭50))
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1057978&isDetail=false

に、1975年の航空写真があります。


地図・空中写真閲覧サービスより

当時、この地形の西側・北側は伐採されたばかりで、樹木のない状態の地形がよくわかります。

円形部、西側は思いのほか整っている。でも、川で削られた地形としては、まあおかしくない。

円形部の東側はだいぶグズグズだ。このときに伐採された木が育つ前に、人為的に改変を受けている(崩された?あるいは採石された?)ようにも見える。

決定的な証拠とまでは行かないけど、じっくり観察すればおもしろいことがわかりそうな資料です。

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(追記)@2018/03/25

今思ったのだが、もしこれが造営物だったとすると、山際のライン(前方後円墳様地形の西側)が偶然うまい具合に「前方後円墳」の輪郭だったところに、その輪郭に合わせて前方後円墳を造営したことになる。

そんなことするかな?これはやはり、自然による偶然と考えた方が理にかなっていると思う。

どっちにしても決定的な話ではないけど・・・。

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